2011年 01月 27日

これからの「正義」の話をしよう

michael_sandel

昨年、話題になったサンデル氏の著書

「これからの「正義」の話をしよう」を読みました。

借りものなので急いで読んだ為、

理解できない部分は飛ばして読み、

そんな自分が感想を述べるのもおこがましいですが・・・・

まあ、いろんな人に読んでもらいたい図書です。

特に、真っ直ぐだけども、

偏った考え方ですぐ熱くなりやすい

危険も富む10代、20代の子たちに読んで欲しい。

話しの進み方は、

こう考えるのは正しく見えるかもしれないけど、

こう考えたら、本当に正しい判断なのだろうか?

と、結論を付けずにどんどん進む。

はっきりさせたい人は、時にストレスを感じるかもしれません。

でも、それ以上に幅広い見方を示してくれるこの図書は、

良い刺激をもたらしてくれると思います。

たとえば、
一部ネタばらしもして申し訳ありませんが・・・・

本の中で、
(今、本が手元に無いので、細かい部分が違う場合は申し訳ありません。)

路面電車が坂道で脱線した時に

右にハンドルを切ると1人の人に突っ込む

左にハンドルを切ると沢山の人に突っ込む

こんな時、運転手は右にハンドルを切ったとしたら、

これは、良い判断をしたと評価を得る可能性が高い。

それに対し、暴走した電車が突き進み、

そのまま行くと線路上に大勢の作業者がいる所に突っ込む状況下。

今、自分の隣にいる巨漢を落とせば、

作業者の寸前で電車は止まるのが分かっていた時、
(自分が落ちても軽すぎてまったく止まらないという事が分かっていたとして)

もし、行動に起こしたら、批判する人の方が多いだろう。

でも、この異なるような二つの事例は、

本質は一緒なのではないだろうか?

何が違く思わせるのだろうか?

こんな感じです。

暴力的な過激なアクションを起こす原動力は、

他が理解できなくても、その人自身の考える正義だったりする事も多い。

テロというと、浅はかな人だと、ただイカれた連中とだけで解釈してしまう。

でも、彼らだって数百万人の被害を防ぐという大義名分で
(実際にそんな被害が起こるかなんて証明できないが)

数万人の殺人を正当化し起こしたりする。

正しいという行動、

当たり前と思っている行動

あいつは、ただただイカレていて悪いやつだとレッテルを付けてしまったり、

ちょっと大げさなアクションを起こす前に

一歩立ち止まって冷静に考える。

そういうのって大事だとは思うんですよね。

でも、起業家としてだったら、

そんなガキっぽい勢いは必要だと思います。

とはいえ、

せめて他に迷惑というか攻撃しすぎない形での起業をして欲しいな、

と自分は考えています。

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